時空を遡ってI・S様の魂のルーツを探る!

魂のルーツを知り、人生の道標として活かす『秘術・前世探査開運法』

I・S様(有料鑑定依頼者)

19××(昭和××)年××月××日 午前××時××分 出身地:A県K市。

 ネットの全国占術師紹介サイトの「占いタウン」で私のことをお知りになられた方々より、私の会得した『秘術・前世探査開運法』に関心を持たれ、依頼に応じて前世を探査しておりますが、ほとんどの方より「歴史小説や映画などで主人公に共鳴・共感を覚え惹かれたが、自分と魂でつながっていたと知って一層の親近感を持った」「何となく気になっていた人物だったが、魂のつながりがあると分かってビックリしたが、納得した」「或る特定の国に強い憧れを持っていたが、自分がその時代に生きていたことが前世探査で分かり、是非、旅行してみたい」「一度も行ったことがない土地なのに、何となく懐かしさを感じたり無性に惹かれていたが、やはりと思った」等々、前世探査の素晴らしさに驚かれています。

この『秘術・前世探査開運法』は、私が昭和56年に、広島大学歯学部の松島竜太郎名誉教授とお会いしたのがご縁となり、教授のライフワークである各種の運命占術をはじめ、秘術・秘伝などの教導を受け、幾度もの断食や滝行などの厳しい修行の末に会得したものです。
この『秘術・前世探査開運法』は、イスラエルに古くから伝わる人を幸福に導く白魔術のひとつで、生年月日と名前と出生地を脳に強くインプットして瞑想。ほどなくして幽体離脱がはじまり、時空を遡って、本人に成り代わって魂のつながりのある歴史上の人物を探査していく秘術です。
魂は永遠に不滅で、人は皆、幾度もの生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返しています。その生まれ変わりの度に、特定の人物から強い影響を受けたり、その人物自身だったり、または家族や親戚、一族であったり、家臣・主従の関係だったり、もしくは同じ目的を持って共に行動した仲間や同士であったりと様々です。
誰でも10数人の歴史上の人物の魂とつながっていて、それらの人物から“生き方”や才能、気質・性格などを受け継ぎ、それに両親から受け継いだ遺伝子が交じり合って、“I・S様”という人格を形成しています。
では、I・S様は歴史上の誰々の魂とつながっているのでしょうか? また、それらの人物からどんな生き方や才能、気質などの影響を受けているのでしょうか。
 
 例によって、沐浴斎戒後、部屋に香を焚き、心が落ち着いたところでI・S様の誕生月日と本名、出生地、顔写真を脳に強くインプットして瞑想。ほどなく幽体離脱して4次元の世界に。ここから時空を遡り、I・S様に成り代わって「新自分発見の旅」にタイムスリップ!
 
 一時、辺り一面が靄に包まれていたが、徐々に靄が消えていき、三次元の世界とは比べようもない風景が目の前に展開する。見慣れている光景だが、しばし空中に静止したまま眺める。美しい山や川、野原・・・。
 向こうには点々と家も見え、その近くでは、家人たちが何事かしている。そーっと近寄ってみると、大人も子供もきれいなオーラに包まれて、楽しそうな表情だ。また、あちこちで馬や羊たちがのんびりと草を食んでいる。
 とても懐かしく、心の故郷に戻った気分だ。庭の周りの色とりどりのきれいな花に、ちっちゃな妖精たちが飛び回ったり戯れている。こっちの気配を感じて振り向いた。にっこりと微笑んでくれた。
 樹木も青々と繁り何の実か知らないが可愛い実を沢山つけている。爽やかな風に乗ってどこからか讃歌が聴こえてきた。いつもの如く生命の息吹が感じられ、なにもかもが素晴らしい光景だ。
 今、地球では人間たちの無分別と我欲のために各地で環境破壊が進み、生態系も狂ってきているのに、ここは何もかもが光り輝いている世界だ。
 ひと時、あちこちを飛び回っていたが、ここはまだ4次元と5次元の世界だ。まだ時空を遡らなければならない。もう一度、I・S様のことを念じながら、上へ上へと飛翔し5次元の世界に入った。
 徐々に辺りの光景が変わっていき、光に包まれてきた。その光の中で乱舞するかのようなシャボン玉のような泡か透明の風船のようなものが一杯浮遊しているが、その中に魂が入っているのだ。
 妙なる光景と言うか、見ていると、中に入っている一つひとつの魂が人の姿に変わったり、また魂に戻ったりしている。いつ見ても不思議な光景である。この無数の泡の中をひたすら飛翔していくと辺り一面が光の海の中に。
 と、遥か向こうの方に、眩いばかりの光球から放射状の光が放たれている。この光景は表現のしようがない素晴らしい光景だ。 その光と共に無数の泡が四方に散っている。もうこれ以上は近寄れない。引き返して泡が少しまばらになった辺りを浮遊してみた。
 I・S様に意識を集中して、泡(魂)に呼びかけてみた。肉体を伴っていたら、それこそ永久に探し当てることは出来ないが、肉体を脱ぎ捨て今は魂だけの存在なので、無数の魂が入っている一つひとつの泡の中の魂に思念を送り、I・S様とつながりのある魂たちと感応するのはたやすいことだ。
 しばらくすると感応しはじめた。呼びかけに応えてくれたのだ。それもあちこちから心に感応してくる。感応してくるそれぞれの魂に向って、I・S様の情報を元に繋がりがあるか問いかけてみた。
 すると、目の前には計20を越える泡(魂)が現れた。そして、それぞれの魂からI・S様と繋がりのあることが確認できた。
 各々の魂が歴史上の人物の誰であるかは判ったが、これで終りではないのだ。今から、それらの魂が地球に生を享けていた国や時代にタイムワープして、魂のルーツ探しをすることの了解を得たのである。
 実際に肉体を纏っていた時代にタイムワープして、彼らを探して肉体の中に入り込んで、最終確認しなければならない。本人たちに会ったとしても肉体を纏っているので、本人たちには私の魂が既に彼らの魂と会ってきたことは知る由もない。
 一つひとつの魂に心を集中してタイムワープした。そして、一人ひとりの魂に会い、魂に同化してきた。その結果、各々、I・S様の魂のルーツ、遍歴で登場する人物の魂、それにI・S様の魂にダイレクトに結びつく魂のルーツであることが間違いでないことが確認できた。
 これらの魂は、I・S様の数え切れない生まれ変わりの過程の中で、歴史に名を留めた魂の分魂であり分身であるのだ。また、幾つかの国に生を享けていることも判明したのである。
 瞑想から覚めて時計を見ると、50分余りを要していた。ドッと疲れが出たが、まだ横になるわけにはいかない。探査してきた結果を忘れないうちに速記文字で書きとめていく。

 では、I・S様の前世探査で判明した結果を詳細をお教えしましょう。

◆I・S様の魂のルーツ◆7人
毛利元就、徳川家康、淀君、千姫、エリーザベト(ドイツ)、平時子、法然。
◆遍歴に至る過程で登場する魂◆13人
毛利元就 → シモン・マイル(ドイツ)、福田徳三。
徳川家康 → C・サン・レオン(フランス)、福田徳三。
淀君 → 直接の魂のルーツとなり、遍歴の魂はなし。
千姫 → 黒川良安、エルマー・R・ライス(アメリカ)。
エリーザベト → ジョースト・Vフォンデル(オランダ)、カーロイ・キシュファルヂディ(ハンガリー)、V・A・マリー・ルイーズ(イギリス)。
平時子 → ゲオルジウス・アグリコラ(ドイツ)、V・マリー・ルイーズ(イギリス)。
法然 → 隆尭、グスタフ・フローベル(フランス)。

I・S様とダイレクトに結びつく魂のルーツ:2人
徳川家綱、オージン・H・ポール・ゴーギャン(フランス)。

〓日本以外での生まれ変わり〓6ヶ国。
フランス(3)、イギリス(2)、ドイツ(2)、アメリカ、オランダ、ハンガリー。

 今後、海外旅行を考えておられる場合は、上記の6ヶ国を計画されることをお勧めします。特に、フランスやイギリス、ドイツに旅行されると、魂の故郷に戻った感慨を覚え、涙が頬を伝わることでしょう。


I・S様の魂のルーツ 其の1
【毛利元就】1497年~1571年
数多くの戦いを勝ち抜き、中国地方の覇王となった謀略の将。
 安芸国(広島県)の地頭から一代にして才覚と槍一筋で成り上がり、謀略の限りを尽くし、中国地方の覇王となった毛利元就。乱世の常として謀に明け暮れた生涯であり、その才能は戦国の群雄の中でも群を抜いていた。
正直者の長男・隆元に対して「はかりごとの多きは勝ち少なきは負けると兵書にあるとおり、ひとえにひとえに武略・計略・調略が必要である」と諭している。それゆえ日常生活に於いても苦労人特有の用心深さがある。
祖父・父・兄が酒の害により早死にしたことで酒を飲まず、平素から食養生に心掛け、そのために体質強健・精力旺盛で、当時としては長寿といえる75歳まで生きられたのだ。
子孫繁栄を願った彼は、戦国武将としては品行方正に近く、また家族にも恵まれた。隆元・元春・隆景は特に優秀な息子で、この3人を病床の枕元に呼び、三本の矢を取り揃え「これを一本づつ折れば、わけなく折れるが、一束にして、一気に折ろうとしても、容易に折れるものではない。だから、おまえたちも、一味同心の思いをなせば、他から討ち破られるおそれもあるまい」と兄弟の結束を遺言した。「三本の訓」のエピソードは有名。連歌や和歌に優れ、文才もあった。

◆毛利元就に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【シモン・マイル】1763年~1845年  
ドイツ生まれの歌劇作曲者で、グランド・オペラの先駆者。
【福田徳三】1874年~1930年   
社会政策学派の見地に立った経済学者で、日本の経済学の開拓者。

◆I・S様の兄弟・姉妹魂◆
→ 赤木敬一郎 1939年~1961年 
和製ジェームズ・ディーンといわれた映画俳優。


I・S様の魂のルーツ 其の2
【徳川家康】1542年~1616年
忍耐を糧に長期安定政権をつくり上げた非凡な政治家。
 織田信長・豊臣秀吉の天下統一事業を完成し、周到な人心掌握力と長年培った軍事力と経済力をバックに、約260年にわたる長期安定政権の基盤を一代にして築き上げた江戸幕府初代将軍・徳川家康。その非凡な政治手腕は、企業経営の手本といわれる。
 戦国争乱の世に生まれ、8歳で父を失い、幼少の頃から14年間の人質生活を送り、信長の圧力により長男が自害させられ、豊臣政権下の大名として59歳まで過ごした家康の人生。それは長い苦労と忍従に耐えながらの歩みでり、遺訓として伝わる「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし、急ぐべからず」の言葉そのものであった。
 織田信長と結んで三河国を平定し、信長の没後、秀吉を押し立てながら天下統一に強力。忍耐の肝要さを学んだ家康は、ひたすら時期を待った。秀吉が死してその時がやってきた。天下分け目の関ヶ原の戦いに西軍を破り、征夷大将軍となって江戸に幕府を解説。さらに時期を待ち、十二分な策謀をめぐらし、大阪の陣で豊臣氏を滅亡させる。
 死去一年前には武家諸法度を手始めとする新しい国づくり政策をあらゆる分野にわたって推進し、幕藩体制の基礎をつくり上げていた。

◆徳川家康に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【C・サン・レオン】1821年~1870年  
フランスの舞踊家で『泉』『コッペリア』の振付師として有名。
【福田徳三】1874年~1930年  
社会政策学派の見地に立った経済学者で、日本の経済学の開拓者。

◆I・S様の系列の魂◆
→ジョージ・R・マイノット 1885年~1950年  
悪性貧血の研究でノーベル生理・医学賞を受賞したアメリカの医学者。


I・S様の魂のルーツ 其の3
【淀君】1567年~1615年 
父母を死に追いやった秀吉の側室となった女性
 天下人豊臣秀吉の愛妾として大阪城で権勢を誇った淀君こと茶々は、近江(滋賀県)小谷城主浅井長政を父に、織田信長の妹お市の方を母として5人兄妹の長女として生まれた。
 戦国一の美女といわれた母によく似て美しく、父にことのほか可愛がられたという。ところが7歳のとき暗雲が漂い始める。父が伯父信長と戦争を起こして敗死。家族もろとも織田家に引き取られるが、今度は伯父が本能寺の変で自害。運命はさらに激しく揺れ動く。
 新しい義父となった柴田勝家が秀吉と戦って敗れ、母お市の方も自害。哀しき女の性か運命か、茶々はその後父母の仇として憎んでも憎みきれない秀吉の側室として聚楽台・淀城で過ごすことになる。しかし、嫡子秀頼を産むと伏見城に移り住み、その権勢は秀吉の正室北政所を凌ぐ程であった。
 秀吉亡き後も豊臣家の嫡子の生母として大阪城に君臨したが、徳川家康の懐柔政策により豊臣家の家臣は分裂させられ、関ヶ原の戦いが起こり敗北。そして大阪冬の陣を経て、夏の陣。誇り高い淀君は徳川への屈服を拒み続け、溺愛した秀頼とともに大阪城の猛火の中で壮絶な死を遂げる。
◆淀君の場合は、遍歴に至る過程で登場する魂はなく、I・S様と直接につながっています。父の財産と意志を継いで、オベリスク(方尖塔)の復興や大学の設置に巨額を投じた実業家ウィリアム・H・ヴァンダビルト、戦争負傷者の惨状を目撃し、その救済事業にあたるとともに『ソルフェリーノの思い出』を著して世論の支持を受け国際赤十字社を創立したアンリ・デユナン、早稲田大学を創立した政治家の大隈重信、日本美術の独自性を再評価し啓蒙と復興に尽くすとともに、東京美術学校創立に参加したアーネスト・F・フェロノサ等々、淀君を魂のルーツとする人たちには平和運動や教育・文化の向上に尽力した偉人がいる。
 美女といわれた淀君の魂のルーツを持つ人たちには、ザクセン選挙侯アウグスト2世の愛人で美貌と教養を兼ね備え、“2世紀にわたり最も有名な婦人”と称されたマリア・A・ケーニヒスマルク、“ザ・ルック”と呼ばれた独特な上目使いとクールなセックス・アピールで注目を浴びた女優ローレン・バコール、服飾デザイナーの稲葉賀恵、女優の多岐川裕美、鷲尾いさ子ら。国民的人気女性としては、インド共和国初代首相ネールの娘でのちに首相となったインディラ・ガンジー、歌謡界の女王美空ひばり、漫画「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこがいる。

I・S様の魂のルーツ 其の4
【千姫】1597年~1666年
数多くのスキャンダルが伝えられる徳川家康の孫娘。
 徳川家康の孫、2代将軍秀忠の長女(母は浅井長政の3女・達姫で淀君の末娘)、豊臣秀頼の妻、3代将軍家光の姉・・・今ふうにいえばプリンセス、スーパートップ・レディーの身でありながら、わがまま・裏切り者・淫乱女などスキャンダラスな伝説が伝わる千姫。
 後世、歌舞伎や講談に脚色された「吉田御殿」で乱行の限りを尽くしては相手を殺したという俗説の事実はなく、実際は忠刻との間に生まれた娘を育て、貞淑な女性として世を送った。
政略結婚により数え年7歳という幼少の身で、4歳年上の秀頼に嫁いだ千姫。大阪夏の陣により大阪城が落城する直前、夫とその母淀君の助命のため城を脱出したが、交渉は不成功に終わり2人は自害して果てる。
 秀頼と千姫との間には子供はなかったが、側室成田氏の間には一男一女がいた。男子は処刑されたが、女子は千姫の養女として男子禁制の尼寺に入れられた。
 この女性がのちの東慶寺20世の天秀院である。千姫は翌年に播磨姫路城主・本多忠政の長男忠刻と再婚し、一男一女をもうけた。忠刻没後、髪をおろして天樹院と名乗り、江戸に戻り竹橋御殿に住み、3代将軍徳川家光の姉として大奥などにも勢力をふるったという。

◆千姫に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【黒川良安】1817年~1890年  
幕末から明治にかけてオランダ医学を学んだ医者。
【エルマー・R・ライス】1892年~1967年  
『街の風景』でピュリッツァー賞を受けたアメリカの劇作家。

◆I・S様の兄弟・姉妹魂◆
→ 伊達公子  1970年~  
女子プロテニスプレーヤー。


I・S様の魂のルーツ 其の5
【エリーザべト】1207年~1231年
優しさたたえる伝説“薔薇の奇蹟”が残る薄命の聖女。
 フランツ・リスト作曲のオラトリオ「聖エリザベトの物語」で知られるドイツの聖女エリーザベト。同名が多く、約六年間住んでいた場所から“チューリンゲンのエリーザベト”といわれる。
 彼女は、ハンガリー王エンドレ二世の王女で、五歳のときチューリンゲンのヘルマン伯の子ルードヴィヒと婚約を交わし、ヴァルトブルグで教育を受けたのち1221年結婚。ところが幸せもつかの間、夫の十字軍参加、そして1227年に戦没すると同時にチューリンゲンから追放されてしまう二重の悲劇に見舞われる。
 彼女は夫の遺体とともにマルブルグに帰り、フランチェスコ派第3団に属し、自らフランシスコ施療院を当地に悦立。病人の救済活動を行うなど、慈善と祈りに捧げた敬虔な生活を送った。あまりにも短く儚い生涯であったが、彼女の優しさをたたえる伝説“薔薇の奇蹟”が残っている。
 その慈愛に満ちた生活は広く国民の尊敬を受け、彼女の死から4年後、グレゴリウス9世により聖徒に列せられ、またドイツ騎士団により聖エリザベト教会堂が設立された。以後、多くの婦人団体、修道院、諸々の施設の保護聖人とされている。

◆エリーザベトに至る遍歴の過程で登場する魂◆
【ジョースト・V・フォンデル】1587年~1679年  
オランダ文学の17世紀黄金時代を代表する詩人で劇作家。
【カーロイ・キシュファルディ】1788年~1830年  
戯曲『ハンガリーのタタール人』で成功し、近代ハンガリー劇の創始者といわれる作家。
【V・A・マリー・ルイーズ】1840年~1901年  
ヴィクトリア女王の長女。

◆I・S様の系列の魂◆
→ 調所広郷 1776年~1848年  
急迫した薩摩藩の財政改革を担当し、成果をあげた家老。
→ 木村芥舟 1830年~1901年  
日本初の太平洋横断に成功した咸臨丸の司令官。
→ 山田五十鈴 1917年~  
映画ととに多くの舞台をこなし『たぬき』『愛染めの高尾』で芸術祭大賞を受けた女優。  

◆I・S様の兄弟・姉妹魂◆
→ さくらももこ  1965年~  
アニメも大ヒット『ちびまるこちゃん』の漫画家。


I・S様の魂のルーツ 其の6
【平 時子】
 武家政治を創始した平清盛の妻で、のちに出家して従二位に叙せられたことから「二位の妻」とも言われていた時子。平時信の娘で、清盛に嫁いで宗盛お・知盛・重衡・徳子を生む。
 保元・平治の乱で清盛が勝って武士団の棟梁となり、妹の滋子が後白河天皇の皇后(建春門院)に、娘の徳子(建礼門院)が高倉天皇皇后になったこともあり、彼女と子供たちも平氏一門の中心となる。
 「平氏に非らざる者は人に非ず」と豪語されたほどの平氏全盛時代であった。しかし、このことが反対勢力を増やし、源氏の嫡流・源頼朝が平氏打倒の烽火を挙げる。一旦は退けたものの、頼朝は鎌倉に政庁を設立。そんな最中、清盛が病死。
 時子は宗盛と共に平氏の肝っ玉母さんとして一門を率いたが、宗盛は優柔不断な性格で統率力もなかった。頼朝の弟・源義経の軍によって一ノ谷・屋島ノ浦と敗戦を重ね、遂に命運を賭けた壇ノ浦の合戦の火蓋が切って落とされた。次々に倒れていく平氏の軍。
 覚悟を決めた彼女は孫の安徳天皇を胸に抱き、2ヶ所を帯で結びつけて「吾は女なりとも敵の手にはかかるまじ」と海へ身を投げた。時に、1185年3月24日であった。富と権力を握りながらも清盛の死後、たった4年でここに平氏は滅亡する。

◆平時子に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【ゲオルジウス・アグリコラ】 1494年~1555年
近代産業の隆盛に大きな影響を与えたドイツの鉱山学者&冶金学者。
【V・マリー・ルイーズ】 1840年~1901年
イギリスのヴィクトリア女王の長女。


I・S様の魂のルーツ 其の7
【法然】 1133年~1212年
念仏だけで十分という教えを説いた浄土宗の開祖。
 源平争乱の血生臭い時代に、専修念仏の道を説いて人々の魂を救済した浄土宗の開祖・法然。彼は美作国久米郡稲岡荘(岡山県)押領使・漆間時国を父に生まれたが、或る日、邸宅が夜襲を受けて一家離散し、菩提寺に入った。
 13歳のとき比叡山に上り源光に師事し源空と称したが、叡空のもとに遁世し、房号を法然とする。その後南都に遊学し諸々とともに南都浄土教を学び、専修念仏に帰して浄土宗の教義を確立する。これまで修行の一部だった念仏だけで一宗をたて、それだけで十分な教えとしたのは彼が初めてであった。
 時あたかも藤原氏の勢力が衰え武士がこれにとって変わろうとする変革期。この新宗派に帰依するものは多く、摂政九条兼実さえも帰依した。その九条兼実の要請で『選択本願念仏集』を著して専修念仏の教理を説き、浄土宗は全国的にあらゆる階層に広まった。
 旧仏教教壇の弾圧が強まり、弟子の女犯を理由に念仏停止の宣下がなされ土佐へ流罪となる。4年後許されて京都大谷の禅房(のちの知恩院)に戻り、翌年没。『法然上人臨終行儀』によると、ある僧が「極楽へは往生し給ふべしや」と彼に問うと「我はもと極楽にありし身なれば、さこそあらむすめ」と答えたという。

◆法然に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【隆尭】1369年~1449年 
念仏8万4千遍を日課とした室町期の僧侶。
【グスタフ・フローベール】1821年~1880年
『ボヴァリー夫人』で近代写実小小説の典型を確立したフランスの作家。

◆I・S様の系列の魂◆
→ ニコライ・M・カラムジン 1766年~1826年
大著『ロシア帝国史』を執筆した歴史家。
→ マリー・ルイーズ 1791年~1847年 
ナポレオン1世の2番目の后。
→ 福沢諭吉 1834年~1901年
『西洋事情』『学問のすすめ』が有名な啓蒙思想家で慶応義塾大学創設。


I・S様とダイレクトにつながる魂のルーツ:2人
【徳川家綱】 寛永18年~延宝8年(1680年 40歳で没)
文治政治を行い、幕藩体制の確立を成就した江戸幕府4代将軍。父・徳川家光、母・増山正利姉・楽の方(宝樹院)。妻・伏見宮顕子(高厳院)。幼名:竹千代。厳有院。右大臣。
 家光の死によって11歳の年に将軍となったが、病がちで性質も温柔であったため、30年にわたる在職期間はのぼ重臣が補佐して政治を行った。時に由比正雪の乱などが起こったがよくこれを処理した。晩年、「下馬将軍」酒井忠清を寵用してからは幕政は次第に弛緩の色を見せはじめた。

【オージン・H・ポール・ゴーギャン】 
1848年~1903年  フランスの画家。
 タヒチを描いたことで知られる画家ポール・ゴーギャンがパリのノートル=ダム・ド・ロレット街に生まれた。この年フランスは2月革命の動乱の中にありました。12月にはナポレオン3世が大統領に就任。共和派のジャーナリストであったポールの父は迫害を避けるためペルーに渡る(父は途中で死亡)。ポールは7歳の時までこの南米の地で過ごすことになり、このことが彼の後の生き方に大きな影響を与える。
 1855年祖父の死亡に伴い帰国、オルレアンの叔父のもとで中学・高校を卒業。その後水夫になって南米航路に乗船。この頃母を亡くした。その後兵役を経て、株式の仕事に従事、人に勧められて23歳頃から絵を描き始めた。28歳の時にサロンに初入選。その後次第に印象派に傾倒していき、自らも描くと同時にコレクションも始める。
 1882年金融恐慌があり、ゴーギャンは株式の仕事を断念。画家として独立しようとして妻の実家のあるコペンハーゲンに移るがが、開いた個展は散々。その後今までのコレクションを切り売りして生活する羽目になる。
 1885年ゴーギャンは妻の実家の人々とあまり行っていなかったこともあり、息子だけを連れてパリに戻る。しかし苦しい生活は相変わらずであcつた。
 1888年にはゴッホとともにアルルで生活するが、ゴッホの耳切事件の後、別れてパリに戻る。そしてさらなる迷いの時期を経て、1891年、突如としてタヒチに渡る。
この南太平洋の島で、ゴーギャンは現地の13歳の少女を愛人にして、傷心のまま制作を続ける。
 彼はこの南洋の文化が気に入るが、やはりお金の問題で行き詰まってしまい、そこでいったん1893年帰国。しかし何らかの事情が好転する筈もなく、解決を見いだせないまま1895年再びタヒチへ。そして今度は14歳の少女を新しい愛人にして暮らし始めた。
 ゴーギャンはこのタヒチにもだんだん西洋文化が流入してくることを嫌い、更に1901年タヒチから1500km北東のヒヴァ・オア島に移る。
 ここが彼の最期の地になり、生活苦の中、現地の人たちともいさかいを起こしたりしつつ、1903年5月8日死去し、現地で埋葬された。
 彼は株式マン時代、趣味で絵を描くことで幸福な生活を送っていたが、画家一本になってからは、とにかく不遇な暮らしをしており、本人も心の迷宮に迷い込んだまま、どうにもそこから抜け出すことができなかった。そんな中、心の奥底から絞り出すようにして描いた不朽の名作が『我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?』(1897)となった。
 彼はこの直前に自殺を決意、翌年には一度自殺未遂を起こしおり、画面は暗く、彼の苦悩がそのまま叩きつけられているかのようだ。仏像のような青い像、林檎のような果実をもぎる人、食べる人、寝ている子供と女たち、頬杖をつく老婆、とかげを踏む鳥・・・・・、 深すぎて理解できる人は少ないかも知れない。

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以上ですが如何でしたか?
 魂のルーツとダイレクトに結びつく魂のルーツ、それに、遍歴に至る過程で登場する魂の順番で、彼らの人物像や伝記、作品、小説等をネットで検索したり、図書館でお調べになり、書店で関連書籍を買い求め、本なしでもしっかりと人物像や生涯が思い出せるまでに精読し熟知してください。そのうちにいつの日か、魂のルーツたちが未だ眠っているあなたの才能を開花させる手助けをしてくれますし、今後のあなたの守護の役目を担ってくれるようになります。

I・S様がどのような宿命を持って此の世に生まれてきているかは、あなたの出生地(東経・緯度)と生年月日(時)、それに名前の3つで看ることが出来ます。生年月日時には、あなたが生まれる前に、ご自分の守護天使と相談して作成した“人生の青写真”が織り込まれていますので、生年月日と出生地、名前の3つを総合的に看ていくと、炙り出しのようにI・S様の運命因子が次々と浮かび上がってくるのです。
 運命因子には、当然、良い作用をするものもあれば悪い作用をするものもあります。その悪い運命因子を少しでも小さくし、反対に、良い運命因子を伸ばしていく優れた開運方法の一つとして、この前世を手がかりとした開運法はお金も本代ぐらいで済み、しかも霊験も大きいものがあります。
ついでに書き添えておきますと、前世探査には幾つかの方法があります。
 私が産経新聞在籍時代に、広島大学歯学部の松島竜太郎名誉教授(既に故人)から、一子相伝の形で伝授されたのは、イスラエルに古くから伝わる白魔術の『折り紙によるダビデの星開運祈願法』と、同じくイスラエルに伝わるこの『秘術・前世探査開運法』、それに、亡くなられた方の身内や先祖の霊を降ろしての『秘儀・霊との対話』などですが、前世探査の方法にはこの他にも、エジプトやギリシャのものもあります。これらは、皆、秘術・秘儀で日本でも会得している人は僅かしかいません。
 広大歯学部の松島竜太郎名誉教授は、ライフワークである運命占術を毎週日曜日にご自宅の広間で運命学教室を開講しておられました。毎週多くの受講生(約30名)に占術や輪廻転生などを教えておられましたので、全国の広大歯学部出身の歯科医の先生方の中には、結構、運命占術とか輪廻転生(生まれ変わり)に強い関心を持っておられたり、研究を続けておられますが、秘術・秘伝については門外不出として何方にも教えられることがなかったのです。
 私の場合は、取材が縁でお付き合いいただくようになり、本格的な運命占術や輪廻転生、宇宙の深遠なるしくみなどと共に、秘術・秘伝の手ほどきを受ける幸運に恵まれたのですが、松島教授と波長がピッタリ合い、しかも私が幾つかの条件を全て満たしていることなどが伝授に値する唯一の人間としてクリアしたのでしょう。
 その条件の幾つかを挙げますと、
→原爆被爆者で大量の放射能を浴びながらも奇跡的に生きていること、
→幾たびもの死の危機に直面しながら、その都度、天佑が働き生かされていること、
→そのために死への恐れが薄れ、死を超越できたこと、
→それまでの人生が過酷であったこと、
→目に見えない存在から生かされていることに感謝の気持ちがあること、
→子供の時から草花を引っこ抜いたり、小動物の殺生は一切しなかったこと、
→魚釣りは嫌いなこと、
→何事も相手の立場になって考えることが出来ること
等々が、教授のお眼鏡に適ったことでした。
 
 私は何の因果か京都に生まれながら広島に来て被爆し、黒い雨と言われる放射能を大量に浴びております。戦後、10年もの長きにわたり乞食同然のどん底の生活もしておりますし、幾度も死の危機に瀕しておりますので、波乱万丈であったことが、秘術・秘伝を受けるに値すると思われたのです。

 話が逸れてしまいましたが、これらの秘術を使って、自分の魂のルーツを知ることにより、それを人生の杖として、また、幸せに向う人生の羅針盤として役に立ってくれますが、知っただけでは白魔術の不思議な霊験はありません。
 ご自分の魂のルーツや遍歴の過程で登場する人物について書かれてある小説や物語、伝記、人物録にしっかりと目を通して、本がなくても細かなところまで思い出すことが出来るようになってこそ、或る日を境として不思議なことですが霊験が発動し、あなたを守護してくれるようになります。以上のことをよくご理解しておいてください。
 尚、これを機会に、生まれ変わりや輪廻転生、催眠療法関連の書籍が沢山出回ってていますので、理解を深めるためにもお読みになることをお奨めします。                        以上                       

占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち


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